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Y-01:「赤糸威大鎧」~鎌倉時代形式

 この甲冑は、「大鎧」(おおよろい)と言われる形式のものです。
「大鎧」は、平安時代の国風文化の中で日本独特の甲冑として確立し、馬上で弓を射る騎射戦が主流であった平安 - 鎌倉時代に、騎乗の上級武士が着用しました。
大鎧を着て立つと肩で重量を支えることになりますが、馬上では鎧の重量は鞍にかかって安定します。
室町時代には「式正の鎧(しきしょうのよろい)」といわれ格式高い甲冑であると位置づけられ別格のものとして扱われるようになりました。
戦乱のなくなった江戸時代には、その外見の華美さから、大名家などで復元されて象徴的なものとして用いられることとなりました。
この大鎧は、鎌倉時代の典型的な大鎧を忠実に再現したものです。

この大鎧の総重量は25kg程あります。

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G-02:「伊達政宗」~本物鎧

この甲冑は、安土桃山時代に当時の甲冑師によって制作された”本物”の甲冑です。現代の甲冑師が厳密な時代考証の基で復元しました。
現代に制作されたいわゆる”現代鎧”は、使用する鉄板の厚さは1mmにも満たないですが、この甲冑の場合は、胴体部分で4mmを超える厚さの鉄板で構成されております。
さすがの火縄銃の攻撃をまともに受けてもビクともしないであろう極めて堅牢な甲冑です。
この甲冑は伊達家仙台藩が代々受け継いできたいわゆる「仙台胴」の基本型を踏襲しており、当時の甲冑師の匠の技を窺い知ることができます。

この甲冑の総重量は28kg程です。

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G-03:「直江兼続」~情熱の愛

「愛の前立て」はあまりにも有名です。
「愛」の語源は、仏教の信仰対象である”愛染明王”または”愛宕権現”であるとの説が有力視されていますが、現代人にとっては”仁愛の愛”であって欲しいという想いが強く、また結婚披露宴においてはこの上ない男の晴れ着です。
本鎧のもうひとつの特徴は、「シコロ」です。
「シコロ」とは、後頭部や首周りを守るため兜鉢の下部から垂れた部分です。
通常、シコロは1重であるのが一般的ですが、兼続の兜は二重シコロといって、外側の笠ジコロの内側にもうひとつシコロが装着されています。
これは上杉家に特有な形式で、兼続の主君である上杉景勝も二重ジコロの兜を所用しており現代に伝わっています。
また、一部に熊毛が装着されていますが、これも実物に倣って再現しています。
ここまで忠実に再現した「直江兼続」着用鎧写しは他に類を見ない、世界で唯一の鎧です。

この甲冑の総重量は17kg程です。

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G-04:「真田幸村」~日本一の兵

真田幸村といえば赤備え(あかぞなえ)の軍団編成で有名です。
赤備えとは、朱塗りの甲冑で統一した軍団をいいます。
戦場でも特に目立つため、特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊です。
真田幸村は、大坂夏の陣において赤備えの軍団を編成し、敗色濃厚な豊臣家に忠義を尽くし、10倍以上の兵力で攻めかかる敵勢を撃退するなど、見事な奮闘ぶりを見せた伝説の武将です。
私利私欲を超越した忠誠心や、武将としての男らしい生きざまに、「日本一の兵(つわもの)」として高く評価されています。

この甲冑は、真田幸村らしい、「忠義」、「誠実」というイメージを意識しつつ、神聖で晴れ晴れしい舞台で輝けるようにデザインしています。
同時に、「武骨者」、「男らしさ」という印象も忠実に再現しており、幸村の戦国武将としての生き様が偲ばれるでしょう。

この甲冑の総重量は30kg程です。

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G-05:「織田信長」~カリスマ武将

信長は、青年期に家督を継ぎ、敵対勢力を次々と下していって尾張一国を統一し、さらに圧倒的優位にあった今川義元を奇抜な戦法で破り、新興勢力として名を馳せ、その後も目覚しい勢いで天下統一へ向けて軍略を推し進め、様々な画期的な政策を実施してゆき、天下人としての地位を確固たるものにしました。
信長は戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人であり、日本史における近世移行期の創始者的存在と位置づけられています。
今まで数多くの映画やドラマで信長が登場してきましたが、そのいずれも男性的でハンサムな俳優が演じています。
信長は、南蛮(西洋)品を好み、晩年は戦場に赴くときには、南蛮胴具足を身に付けていたと言われています。
南蛮胴具足とは、西洋甲冑の胴体を流用して日本甲冑として完成させたものです。
信長の南蛮甲冑は現存していませんが、信長らしい”カリスマ的な存在感のある甲冑”というイメージが定評です。
他の戦国武将の追従を許さない、空前絶後のカリスマ的存在であった信長所用の甲冑、ここに再現しました。

この甲冑の総重量は25kg程です。

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G-06:「直江兼続」~藍の証

直江兼続をイメージして、あまりにも大胆に表現した結果完成した甲冑が、この「藍の証」(あいのあかし)バージョンです。
甲冑の各部位は、実物の構成にできるだけ則りつつ、威糸(組みひも)を藍色系統の鮮やかな色彩としています。
もちろん、「シコロ」も実物にならって二重シコロとしています。
「シコロ」とは、後頭部や首周りを守るため兜鉢の下部から垂れた部分です。
通常、シコロは1重であるのが一般的ですが、兼続の兜は外側の笠ジコロの内側にもシコロを装備するという二重シコロ構造となっています。
これは上杉家に特有な形式で、兼続の主君である上杉景勝も二重ジコロの兜を所用しており現代に伝わっています。
華々しい舞台にふさわしいこの甲冑、もちろん小札屋オリジナルデザインです。

この甲冑の総重量は18kg程です。

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G-07:「直江兼続」~愛の決意

紺色と白色を基調とした、男らしい雰囲気を醸しだしたデザインです。
「愛の決意を抱いて家族を守ってゆくぞ」という方にお勧めの甲冑です。
「シコロ」も実物にならって二重シコロとしています。
「シコロ」とは、後頭部や首周りを守るため兜鉢の下部から垂れた部分です。
通常、シコロは1重であるのが一般的ですが、兼続の兜は外側の笠ジコロの内側にもシコロを装備するという二重シコロ構造となっています。
これは上杉家に特有な形式で、兼続の主君である上杉景勝も二重ジコロの兜を所用しており現代に伝わっています。

この甲冑の総重量は20kg程です。

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G-09:「徳川家康」~歯朶具足

”大出世甲冑”

徳川家康が関ヶ原の合戦の前に大黒天の夢を見たことから、それを意匠として作らせた甲冑がこの甲冑です。
関ヶ原の合戦にはこの同じ甲冑を2領(2セット)用意したといわれ、そのうちの1領が現在の静岡市にある久能山東照宮に伝わっています。
この甲冑には歯朶(しだ)に見立てられた前立てがついていることから「歯朶具足」(しだぐそく)と一般に言われています。
歯朶は常緑でよく茂る植物であることから繁栄と長寿を願う縁起物でもあり、 この甲冑を身に着けて関ヶ原の合戦・大坂の陣で勝利したことでその後の歴代将軍もこの写しを新調し吉祥のしるしとしたといわれています。
事実、260年以上にわたる江戸幕府の安泰の礎となった徳川家康のこの甲冑は、新たな家庭を守り、繁栄に導く役目を負った、覚悟と喜びの一領です。
※「面」は写真撮影のために装着したものであり、実際のご着用には付属致しません。

この甲冑着用の総重量は約25kgです。

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G-10:「本多忠勝」~天下無双の大将

本多忠勝は生涯を通して一貫して徳川家に仕えた忠臣であり、言わずと知れた徳川四天王の武将です。
戦乱の世において参加した合戦は大小合わせて57回に及びましたが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられています。
これらの合戦における忠勝の活躍は敵味方を問わずに賞賛され、家康からは「まことに我が家の良将なり」と激賞され、一方の敵将にも、「家康に過ぎたる武将」と賞賛されたほどの武勇の持ち主です。
また、織田信長はじめ豊臣秀吉には、「東に本多忠勝という天下無双の大将がいる」と勇将として讃えられたといいます。
本甲冑は、可能な限りの本物志向で重厚感あふれる作りとなっています。

この甲冑着用の総重量は約30kgです。

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